最近の動き

2月の鍋パでの、paints君の問題提起。


一昔前は、オタクが共有する知識は多くなかったのに対して、最近は作品数の増加に伴って、オタク間の共通理解が減少している。

その点は僕も同意で、確かにここ15年でオタク[脚注1]業界では、
ライトノベル、PCゲームなど、新しい形態の娯楽が登場した。
・ネット常時接続、巨大掲示板、個人ブログ etc. の普及による需要喚起に伴って、娯楽の質・量ともに向上している。
・経年によるオタクの人口増加[脚注2]によって需要が増加し、供給も増加している。

などに伴って、好みの多様化が起こっているようだ。一昔前のエヴァCCさくらのように、全てのアニヲタで共有できるトピックも、今では探すのが難しいようだ。

以前は文献[1]のネタ程度を理解していればよかったが、最近では[1]のリストの更新すら捗っていないようだ・・・。(列挙してもキリがないせいか、或いは、必須事項ではないと判断されているのか)

もちろん、この多様化は良作の量産によるものであるから、悲観することではない。(cf. 学問の分野においても、学問が過度に発達し、Newtonの時代のように人類の知識全てを1人の人間が学習できる時代から決別したことに嘆くようでは、研究者失格だと思う)


ここで、オタク文化の目的を列挙してみよう。(括弧内は、同じ要素を持つ別の例)
1.作品による自己満足(ex. 漫才、グラビア?)
2.それを介して、友人(2ちゃんねらーも含む)と話題を共有し合うこと(ex. 三流芸人、ネタニュース)
3.価値観を高めたり、視野を広げたりする(ex. 芸術、文学)


僕は当然1.だと思っていたのだけれど、最近(パロディの流行に伴って[脚注3])、オタクの世界においても2.の要素が重要になってきているのだろうか。

1.の要素を重要視するならば、作品数の増加は喜ばしいことだ。以前に比べて、鑑賞できる作品の選択肢が広がっているわけだから[脚注4]
しかし一方で、最近は上述の2chの普及や、オタクに対する偏見の減少などに伴って、「何気なくゲームを手にとった」とか「偶然深夜にアニメを見た」という理由でオタクになる人よりも、「友人に薦められて」とか「2chで度々話題になる作品だから」という理由でオタクになる人が増えてきているのかも知れない。そうだとすると、そのような人にとって作品数の増加は、カバーしなければならない作品の増加として負担になるのかもしれない。


僕の素朴な考えでは、オタク文化はあくまでサブカルチャーとして(1.の要素として)、現実世界での友人関係とは独立した位置付けにあるべきだと思う。
(ブログに転載する時に補足:)2008年6月の秋葉原殺傷事件や、その後のマスメディアの歪曲した報道も、オタク文化サブカルチャーから脱却し始めたことによる弊害だと思う。


以上は僕の一方的な意見だけれども、1.と2.のどちらの立場を取るにしても、お互いの立場の相違を常に理解することが大切だと思う。
それを怠って、他人の趣味を批判する書き込みが、2chに多く見られると感じるのは僕だけだろうか。



[脚注1]
オタクといえば、鉄道オタクやクイズオタクなど、広い意味が考えられるが、ここでは用語の簡単のために、アニメ・ラノベ美少女ゲームなどのオタクを総称してこの表現を用いる。

[脚注2]
オタク趣味というのは、毎年一定の割合で新規参入者が生まれる一方で、オタクから脱退する人の数は多くないことから、オタクの人口は増加してきた。これからも数十年程度(ブーム初期に若かった人が寿命を迎える2040年頃まで)は、オタク人口が増え続けるだろうという、僕の勝手な予想。

[脚注3]
つい最近まではパロディは、2ch用語の元ネタに古典的な漫画のネタが使われる程度だったと思う。
ぱにぽにだっしゅ!」の黒板ネタや、「もえたん」の例文など、昔からこの業界でも随所には見られたけど、昨年の「らき☆すた」ブームと、「ハヤテのごとく」「さよなら絶望先生」のアニメ化に伴って、一気に流行したような印象がある。

[脚注4]
泣きゲーと言えば、以前はKeyの専売特許だったが、21世紀に入ってから「戯画」「MOONSTONE」「F&C」をはじめ、様々なブランドが泣きゲーを作っている。(Keyほどのインパクトを与える作品は少ないようだが…)

   参考文献
[1] はてなダイアリーオタクの常識とは」http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AA%A5%BF%A5%AF%A4%CE%BE%EF%BC%B1?kid=116071