円とリーシーと

無駄に早く起きたので、他人と知り合うたびに僕が『変な奴』呼ばわりされるのは何故だろうと冷静に考えてみました。
そういう人が多い高校に入ったせいかな、と思ったけど、高校入学時に既にそうやって分類されていた気もする・・・。

外国に行って初めて日本のことが分かるのと同じで、大学生としていろんな人と接してまともな人間になって(←反論無用www)初めて、それが分析できるようになりました。


今から思えば、僕が他人の助言や巷の評判を、基本的に信じなかったのが原因でしょう。例えば、
「雨に濡れると風邪引くよ」
と言われても、とりあえず試してみるまでは信じない。
そうやってすぐに検証できることはそれでも良いのだけれど、例えば
「芸能人に興味を持つのが普通の人間だ」
と言われても、芸能ニュースで赤の他人が結婚とか離婚とか言ってることの何が面白いのか分からなかったので、ずっと関心外でした。
僕に言わせれば、むしろ世の中の人間が何故、判で押したように似かよっているのかが疑問でした。小中学生で芸能人に興味を持って、高校で恋愛に興味を持って、大学でお酒に興味を持って・・・。
それは恐らく、多くの人が大衆に迎合する姿勢を身につけているからだ、という結論に達しました。

それに対して僕は、助言や評判を信じないどころか、逆に疑ってかかる姿勢でした。
「フルマラソンを走るのは大変だ」
と言う人に限って、一度も自分で挑戦したことがないことを知って、挑戦してみようと思ったのがマラソンサークルに入ったキッカケだと思います。
今物理学科にいるのも、物理学科に入るのは(東大に入るのは)難しい、と言われたので、とりあえず検証してみようと思ったからかもしれませんね。

もし、僕が野球を始める前に誰かに薦められて、それが
「なんのために野球をするの?」
という僕の素朴な疑問にすら答えられない大人の意見だったら、僕は野球をやっていなかったと思います。
幸運なことに、そうではなく、僕がスポーツに興味を持ったのは、『作用反作用の法則』を知らなかった小さい頃に
「自分の体重を持ち上げられるくらい力持ちになったら、座っている椅子を持ち上げることで空を飛べるかも」
と夢を抱いたからですね。それが無理だと知った後も野球を続けたのは、
「どうせすぐやめるんでしょ」
という母親の意見に抗うためだった気がします。

小さい頃、ピアノの綺麗な音色と、感情の込め方でこんなに印象が変わってくるということに感動して、ピアノを弾き始めたけど、小学生の後半になって、
「大人になるまでピアノを弾いていると、きっとためになる」
と父親に言われて、
「なぜ?」
という僕の疑問に答えてもらえなかったので、急速にモチベーションが下がってやめました。

多くの人は、そういうとき
「理由は分からないけれど、多くの人がそう言うなら正しいのかな」
と思うのでしょうか・・・?


僕はむしろ、キャベンディッシュみたいな、マッドサイエンティストに憧れていました。
『研究には純粋に興味あるけど、学歴や名誉はいらない』 という姿勢や、徹底した女嫌いとか。 自分の正しいと思ったことを貫き通せる姿勢が素晴らしいと思います。


アニメで喩えると、
破天荒遊戯 『クソツマンナイ人生を面白おかしく演出してやる!』
・ef -a tale of memories- 『自分の色を見つけたい』
まなびストレート 『ワクワクドキドキの毎日を過ごしたい』
フタコイオルタナティブ 『このニコタマが好きだから』
みたいな感じです。
例示して気づいたけど、こうやって『平凡な日常から脱却したい』というメッセージを乗せた作品はヲタに受けやすいですね。
この理由は、平凡な日常に嫌気が差した人が、刺激ある世界を求めてヲタやNEETになるからでしょうか。2chやVIPの非日常なニュースを祭り上げるのはとても楽しいですし。


僕だって、道を歩きながらいつも
空から女の子が降ってこないかなぁ」
「突然、月が2つある世界に召還されないかなぁ」
「突然時間が止まって、灼眼の女の子に助けられないかなぁ」
とか思っていますけど、何も面白いことも起こらない現実に幻滅してます。
「なんか面白いことないかなぁ・・・」
と僕がよく言うのは、そういう意味です。
こどものじかん」のレイジみたいに、思考が大人になれない気分・・・。


僕が研究者を目指したのも、むしろ消極的な理由で、
「サラリーマンになると平凡な人生しか過ごせない」
という偏見があったからですね。
もちろん、大学のカリキュラムとか研究者の日常を調べて鵜呑みにしたわけではなく、想像を逞しくして、飯田修一先生(http://www.nextftp.com/profiida/)みたいな研究者を想像していました。

でも実際には、英語やプログラミングやプレゼンが下手だと着想が評価されないし、誰もが面白いと思う話はほとんど解明されて、多くの研究者は壮大な問題に対する下請けの下請けの下請けみたいな位置づけの研究をしている状況を見ると、普通に就職するのと大して変わらないようにも思えてきました。


最近の僕は、場の量子論を勉強すると役に立つと言われて、友達がみんな勉強してるけど、実感が沸かないのでモチベーションが沸かないです。専門課程に進んでから、そういうの多いな・・・。いっそこのままNEETになろうかな。