次は、今年1月の記事

皆さん、あけおめです。年末年始を電波の届かないところで過ごした双パラです。
そこで日常とは違った時間を過ごした僕は、2人の男性と出会いました。歳は、どちらも50台だったと思います。

1人目は子供みたいな性格で、聞くところでは、毎月の生活費を株で儲けて、大半の時間はネトゲー(ネットゲーム)に費やすという。お酒もタバコもやらない上に、独身なのでほとんどお金を使う機会もなく、気ままな生活で毎日楽しいそうだ。

2人目はおとなしく堅実な性格で、学園のアイドル的な人と結婚したが、今はご子息が3人とも学生で、子供の学費を稼ぐために休日出勤を繰り返すが、妻の愛情はご子息にばかり注がれて、人生の楽しみが見つからない、と語っていた。


  この話を聞いて、前者の人生に憧れるでしょうか?いいえ、話はそんな単純ではないようです。


ごく最近になって募りだした、とある衝動が、自分を問題に直面させてくれました。最近、僕は無性に野球がしたいんです。それも、野球サークルや草野球じゃなくて、邪心を捨てて、野球だけに打ち込みたい!
いまさら、と言われるでしょうね。高校までは(特に中学のシニアでは)その環境が十分に整っていたのに、僕は「試合や実践練習は面白いけど、素振りや走り込みは嫌い。」と子供染みたことを主張し、基礎練習を怠っていた。
でも、今の僕が思い憧れるのは、年2回の大会ではなく、それに向けて日々基礎練習を重ねる姿。
直接的な成果を期待する打算的な考えを持たず、途中で挫折したり妥協することもなく、格好悪くてもいいから泥まみれになって目標に向き合う姿こそが、青春の1ページを刻むのに相応しい姿だったはずなのに・・・
大学3年の今、それらの日々を取り戻すことは、もう不可能に近い。


最近車の運転がめっちゃ楽しくて、バスの運転手という職業の選択肢も真面目に検討し始めた矢先だったことで、話が更に複雑になりました。
バスの運転手なら、運転で毎日新鮮な刺激を感じられるし、地域に(特に高齢者に)深く関わり、町の変化を感じることが出来る。

・・・ううん、そんなの言い訳だということも、本当は気付いているのかもしれない。研究職に進めば、通勤中も休日も、24時間365日仕事のことを考え続けることになる。40年以上続くそんな生活への漠然とした不安から、積極的な理由と自分に偽りながら、消極的な理由で他の選択肢を探しているのだと思う。


―――ネットも繋がらず、持参したゲームも早々に終えてしまい、考え事しかすることのない状況で、初めて自分の心と向き合いました。結局答えは見出せなかったのは、今まで悩み事なく生きていたしわ寄せだと思います。


     結論:ゲームはもっと沢山持って行くべき(ぇ




※ 上の文章は新年に書いたものですが、今から読み返すととても自分が書いた文章には思えない、変な気分です。敢えてそのまま載せるのも一興かと思い、コピペしました。