論理的思考と創造的思考

先日、原子核実験のH先生と雑談していたときのこと。
H先生は、今週土曜日に小柴ホールで中学生向けに講演する内容を決めかねていました。
でも、そういう題材って、ふとしたキッカケで思いつくものであって、忙しさに追われる毎日では見つかりにくいですよね。(H先生は特に忙しそうですし)

それでは、仮に僕が研究者になったとして、僕だったら中学生相手に何を話すだろう、と考えてみました。


一言でまとめると、
   「学校の勉強をちゃんとやっていれば報われるよ」
という(結論だけ見ればありきたりの)内容でした。

以下、その理由ですが、他の分野の事情を全然知らないので、ちょっとでも間違ってたらバシバシ指摘してください!! (←コメントに飢えてるだけ)



僕が思うに、「頭の良さ」って2種類あると思うんですね。以下、「論理的思考(logical thinking)」と「創造的思考(creative thinking)」と呼びます。
前者は、ほとんどの人は努力に比例して伸びますが、後者は何をすれば伸びるのか不明です。
若干正確さを欠いて喩えると、前者が得意な人が「秀才」、後者が得意な人が「天才」だと思ってください。


子供は成長するにつれ、徐々に論理的思考を要求されます。例えば中学受験に必要なのは、

・算数・・・創造的思考
・国語・・・論理的思考
・社会・・・ただの暗記?(よく知らない)
・理科・・・暗記&論理的思考

って感じで、創造的思考が生かせるのは算数だけになります。(しかも算数だって、創造的思考さえあれば解けるけど、創造的思考がなくても覚えてしまえば解ける)

/*塾でバイトしていると、
「小学校の算数は得意だったけど、中学入ってから勉強が苦手になった」
という生徒の声をよく聞くけど、それは「頭が悪い」わけではなく、創造的思考が得意ってことなのかな、と思います。
人間の脳の構造として、どちらかの思考が得意だと、普段からそちらに頼ってしまうせいで、他方の思考を鍛えなくなりがちなのかもしれない(一部の優秀な人を除く) */


高校受験や大学受験では論理的思考を試す問題ばかり出されるせいで、「論理的思考が学問のすべてだ」と誤解する大人が大量生産されている気がします。

某塾のカリスマ英語講師が授業で、
「歴史的には大学受験は官僚の卵を集めるためのテストなので、大学受験は論理的思考の速さと正確さを要求される問題が多い」
と言っていました。(『歴史的』って、古代中国の『科挙』のことかな?)

確かに東大の問題を見ても、数学で面倒くさい計算だけの問題を出したり、理科でスピード勝負のような問題が多い傾向はあります。英語で「自分の意見を述べよ」という問題も、アイデアの独創性は得点と無関係だし。

/* 個人的には、それは歴史的な事情ではなく、創造的思考を測るテストを行うのが難しいから、という事情もあると思いますが。。。(IQテストや、レドモンド式面接試験etc. なら可能かもしれないけど、対策を練られすぎると問題のネタが浮かばなくなる) */


でも、研究室訪問を重ねて、研究の現場を目にする限りでは、
「論理的思考は人並みに出来て当たり前。その上で、創造的思考の質が研究の価値を決める」
という立場の話が多かった気がします。

/* もちろんそれは、僕が訪問した、量子情報や非平衡統計力学のような分野の事情であって、数百人規模の実験グループや素粒子理論では、論理的思考がモロに重要になるのかもしれませんが */



研究職に限らずとも、創造的思考を必要とする分野はあります。
一般の職業において、どちらの思考能力に重点が置かれるかを列挙してみます。


論理的思考:裁判官、管理職、SE(システムエンジニア)、投資家
創造的思考:弁護士(?)、製品・技術開発、芸術家
/* 医者はどちらの能力も必要ないけど、苦行に耐える訓練として、無駄に高い点数を要求されるのかな?偏見だったらごめんなさい(汗 */

ちなみに、お笑い芸人の場合、「観客が思いつかないようなセリフを言う」というボケが創造的思考で、「ボケた側の意図を素早く判断して、的確な反応をする」というツッコミが論理的思考ですかね。

さらに例を挙げると、将棋の場合、中盤が創造的思考で、終盤が論理的思考ですね。

解説者や観戦者が誰も思いもよらないような指し手を放つことのある羽生名人と、コンピュータのように常に最善手を指し続ける谷川さんとの対局は、いつ見ても面白い。


(将棋)         論理的思考   創造的思考
  羽生さん         ○       ◎
  谷川さん         ◎       ○

    僕           ×       ×

(物理)         論理的思考   創造的思考
アインシュタイン       ○       ◎
  ランダウ         ◎       ○

    僕           ×       △

という関係にあるのかもしれない。(最後だけサバ読んだかなw)


話を戻すと、中学・高校の教育は、
・学問的研究を行うのに必要な概念を学ぶ(←当然。でもこれは一部の理系研究者にとってのみ)
・将来、論理的思考が重要となる職業に就くために、論理的思考を鍛え上げる
・将来、創造的思考を生かせる職業を行う上で、最低限必要な論理的思考を身につける

という3つの目的があると思います。
僕がここで強調したいのは、3つ目の目的においては、必ずしもトップになる必要はないということです。もちろん、(羽生さんが論理的思考が得意だから創造的思考も生かせるように、)論理的思考が得意であればその分有利であることには変わりないですが。


創造的な思考が得意な人は、中学・高校のときに
「学校の勉強って、なんで皆必修で同じことをさせられるんだろう・・・」
と思うはずですが、それに対して満足に答えられる学校の先生は少ないのではないでしょうか。
・学生の頃に頑張ったご褒美として、公務員のような優遇された職業を与えてあげるため
とか
・科学を進歩させるために、優秀な人材を漏れなく理系の研究分野に引き込むため
ではなく、上記のような理由なのだ、と僕は思います。
僕が中学生に講演するとしたら、上記のような内容を話して、創造的思考の持ち主にも論理的思考を訓練する動機付けを与えてあげたいと思います。
/* 2chVIP板やニコニコなどに、創造的思考に優れた人が集まってる現状を見ると、悲しくなるので…(レスだけでなく、AA職人、MAD職人、改造ゲーム作者etc.) */




読み直してみて思ったこと:
別に中学高校の勉強だって理路整然としたものばかりではなく、暗記要素も多いわけだし、勉強の意義を感じられない理由がそこにあるのなら僕の議論は無意味なのかも・・・