交通での危険予測

以前のエントリーに関連して、交通マナーの話です。
普通に書くと愚痴っぽくなっちゃうので、ちょっとイラストを混ぜてみますね♪


先日、こんな場面に遭遇しました。


国道を渡る信号が青になったけど、救急車が近づいてくる・・・。歩行者が10人ほどいたけど、みんな立ち止まっていました。
その時背後から、自転車に乗った小学生の男の子2人組が近づいてきました。
自転車同士、2人で話しながら走ってるせいか、救急車に気づいていません。
路駐のせいで、救急車も男の子たちに気づいていません。


「危ない・・・」
と僕が小声で呟いて、男の子たちの前に立ちはだかろうとすると、僕の声を聞いた隣のお爺さんも、僕と同じ行動をとりました。結果として、2人で男の子たちを止めることで、めでたく事故は回避されました。


この状況で、万が一子供が轢かれる事故に発展していたら、法律的に責任が問われるのは誰でしょうか。
法律的に見れば、子供が
・歩道なのに徐行していなかった 「自転車の車道通行の例外:運転者が子供の場合は、歩道を通っても良い」があるので、歩道を走っていたこと自体は罰せられない
・救急車に道を譲らなかった
・自転車で並走していた

という点で違反ですが、実際には子供だけに責任を押し付けずに、

・救急車の安全確認が不十分だった
という点で、子供・救急車の双方に過失割合がつくと思います。もしかしたら、
・路駐が横断歩道付近5m以内に停車していた
という理由で、路駐の運転手にも少し過失割合がつくのかもしれません。


しかし、道交法とは無関係に、誰が一番その事故を止められたかという問いかけに対しては、僕や周りの歩行者たちであると誰もが同意すると思います。
もちろん、歩行者が身体不自由かもしれないし、夜勤明けで疲れているかもしれないので、杓子定規の法律として、歩行者に過失割合を定めるのはおかしいですが、それでも全ての人に予測される事故の種は取り除く義務があると思います。
この一件の後、周りのおばさんたちが僕たちのことを褒めてた気がします(←勘違い乙www)が、「他人を褒めていないで、自分も事故防止に貢献すればいいのに」と思いました。


このことを、教習所では「危険予測」と呼びます。
「学科試験では危険予測は配点が2点のため、これが解けないと学科試験の合格率がガクッと下がってしまいます。皆さん勉強しましょう。」
と指導員が言っていましたが、僕はむしろ当たり前すぎてサービス問題だと思っていました。


でも、現実問題として、この「危険予測」が出来ていないドライバーが多いんですよね。
例えば、都内を運転していると、頻繁に下のような状況に遭遇します。


路駐の横を通り過ぎようとしている、その時・・・


路駐の運転手が無防備に飛び出してきます。もちろん、運転手を避けるためには隣の車線に入る必要がありますが、隣の車線は背後からトラックが迫っている・・・!


こういう時、僕はやむを得ずブレーキをかけて、右の車線のトラックをやり過ごしてから、タイミングを見計らって右側の車線に出て、運転手をよけるのです。
この状況において、路駐の運転手に危険予測能力がないことは言うまでもないですが、このとき背後のトラックの危険予測能力が問われます。僕はきちんとブレーキをかけますが、中には何も考えずに隣の車線に出てくる自転車もいるかもしれませんよね。
結論から言うと、路線バスの運転手はマナーが良いので、90%以上の確率で減速→一時停止を行い、自転車の飛び出しに備えます。
一方で、コンビニへの搬入トラックや、長距離輸送トラックの場合には、そのように危険に備える確率は50%以下です(←数値は主観です)。



以前の日記で、マナーの悪さを指摘しましたが、それと同時に上記の例のように、
「自分はルール違反をしていないのだから、事故が起きたら相手が悪い」
と主張して、危険予測を行わない交通が多いようにも思います。

典型的な例が、青信号を横断する歩行者。
・横断歩道の信号が点滅しているから、急いで渡り始めるケース←これは実は違反だけれども、普通はそんなことで取り締まられたりはしない
・横断歩道が青になってもしばらく立ち話を続けて、不意に横断し始めるケース


このような行為は、ただでさえ左折車にとって迷惑なのに、特に左折する車がトラックの場合は死角に入りやすくて危険ですよね。
そのように左折車にとって想定外の行動をとる前には、必ず運転手の顔を見て、運転手が自分を認識していることを確認したほうが良いと、僕は思うわけです。